2019年

2019/12/7 31年前の秘蔵映像

今から31年前の1988年12月2日、当時小学6年生だった僕は母と2人で第21回日本有線大賞を見に行きました。

当日は歌い終わった歌手が会場の通路を通り、ステージに近い席に座るという流れでしたが、まさかそれが僕らの座った席の横の通路だとは...

「I missed the shock」を歌い終わり、横の通路を通った明菜ちゃんに向かって、僕は「明菜ちゃん!」と声をかけたところ、笑顔で、そして、両手で僕の手を包み込んでくれました。


(まさに、当日大賞を受賞した桂銀淑に握手したようなこんな感じでした)

この日はなぜか明菜ちゃんと話せる予感があり、当時集めていた100枚位のブロマイドを持参していました。
全ての賞の発表が終わり、歌手が会場を後にする時、僕は明菜ちゃんに駆け寄り「こんなに集めたんだよ!」とブロマイドを見せました。プレゼントかと思った明菜ちゃんは「ありがとう!」と言って、僕の大切なブロマイドを受け取ろうとしましたが、僕は「これらは持って行かれてはまずい!」と思い、引っ張り返したという一生忘れられないエピソードがあります。
 
この日もう一つの出来事がありました。
大賞の桂銀淑のお母さん(僕らのすぐ後ろ)が会場に来ているという事でスポットライトがあたった際、僕は坊主頭が、母は顔がはっきりわかる形で映りました。動いている母の映像をどうしても見たく、数年前から時々膨大な量のVHSから探していたのですが、なかなか見つからず、ほぼ諦めていたところ、数日前の2019年12月2日、念願の31年前の映像を見つけることができました。

↑ かなりのオタク度を大公開。汗
この中には、YOUTUBEにもアップされていないお宝映像が沢山あります。

 
 
 
左下の坊主頭が小学校六年生の頃の僕です。笑
左下が31年前の母です。
 
父に「何かわかる?」と言って映像を送ったものの、既に父の記憶にはなく、詳細を説明をしたところ、再度映像を見直して映っている母を見つけたようです。
「久しぶりにお母さんに会えて嬉しかった」と返信が来ました。

母とは、1989年4月29日の読売ランドイーストのコンサートに行ったり、


1994年12月には、ダフ屋が20万円で売っていたと言うPARCO劇場の小規模のコンサートの当日券を入手するために、早朝から父と交代で並んでくれたり(父は始発前に車で渋谷に行き並び、7時頃から母にバトンタッチ、一人一枚しか購入できない当日券でした)、


1995年12月16日には、母の妹といとこも含めて、4人でパシフィコ横浜のコンサートに行ったり、


僕の明菜ファンとしての活動を全面的に支えてくれた父と母に心から感謝しています。