2018年

2018/11/12 終活と断捨離

今回は終活と断捨離に関するお話です。
父は、7月に完全退職・自家用車も手放し、目下、東京で一人、終活 兼 断捨離に勤しんでいます。
 
60歳前後で共同経営をしていた会社を譲り渡し、同業の後輩の会社の顧問という形で約15年間働かせてもらいました。この間、母が癌を患い、仕事を辞めて母の看病に専念するかどうか迷った時期もありましたが、仕事を続ける道を選び、健康で、74歳まで働けたことはとても幸せだったと思います。父も闘病中の母に寂しい思いをさせてしまったのではないかと多少の後悔もあるようですが、僕はその決断でよかったと思うし、天国の母もきっと笑顔で「お疲れ様」と言ってくれていると思います。
 
断捨離をしてると、昔の恥ずかしい思い出やら涙の出てくる思い出、爆笑してしまうような思い出、様々な貴重なアイテムとの再会があります。ある日、父からLINEで送られてきた爆笑アイテムはこちらです。

僕の幼少期はまさにバブル時代、父の帰宅も毎晩遅く、ある日朝出勤をする父に向って僕はこう言ったようです。
「おじさん、また来てね!」
母は僕に「お父さんは自分たちのために朝から晩まで働いてお金を稼いで来てくれているのよ」と話したようですが、僕にはその記憶がありませんでした。
ただ、この感謝状を読む限り、僕は母の話を信じ、父に感謝をしながらも、父に求めているものはお金だったことが判明しました。笑 
 
父方の祖父は僕が生まれた時には既に他界していたのですが、
「日本橋」という雑誌の編集長をしていて、谷崎潤一郎さんや永井荷風さんと交流があったという話を聞いていました。

その時の貴重な雑誌も見つかったようです。
 
9月半ばに父が台北に遊びに来たのですが、自宅に到着し、僕が父のスーツケースを開き、頼んだものをちゃんと持って来てるか確認をしていました。片側のファスナーを開いた時に目に入ってきたものは、、、、
母が昔集めていた不二家のポイントを貯めてもらえるペコちゃん人形達でした。(唖然)
僕が父を問いただすと、父は「断捨離中に見つけて、なっちゃん(従業員)の姪っ子かDaisy(僕の元同僚)の娘にあげようと思って持ってきたんだよ!」と。
こんなにスペースが余ってるなら、お酒数本持ってきてくれればよかったのに。。。
今の赤ちゃんが中古のペコちゃん人形をもらっても、全然嬉しくないですよね。。。。
母の大切な思い出なので、僕が引き取り、台北の部屋に飾ることにしました。笑
  
そんな僕自身も今年は断捨離を考えさせられる一年でした。
8月に僕が日本に一時帰国した際、父から「太郎」と書かれた段ボール約10箱を差し出され、断捨離をさせられました。
年賀状等の手紙関連、カセットテープ、CD、雑貨、これまでなかなか捨てられなかったものも今回は思いきって段ボール約3箱分捨ててきました。
自分がこの世から姿を消せば、いずれ捨てられるもの、でも、生きているうちはなかなか捨てられないものって沢山ありますよね。
今回感じたのは、「段階」が必要なんだと。きっと10年後には
、さらに3箱分位捨てられるようになっていることでしょう。

これらの幼少期に書いた絵はまだ捨てられませんでした。「もう少し取っておこう」と。
 
毎回東京に帰れば、ここぞとばかりに、気に入った洋服を何着も購入します。台湾に戻ってから、「あ、同じような服があった・・・」と思うことは日常茶飯事です。結局、こういう洋服も近いうちに断捨離のターゲットになるわけです。
今年の春には風水師に今住んでいる部屋はあまりよくないので、早めに引っ越すようアドバイスを受け、その頃から引っ越しに向け、少しずつ整理を開始していました。最近、沢山の洋服をリサイクル回収ボックスに投入してきました。
 
まだ42歳で終活をする年齢ではありませんが、いつ何があるかわからないことを考えれば、身軽にしておくことに越したことはないですよね。
これからは美味しいものを食べたり、旅行でいいホテルに泊まったり、形に残らないものにお金を使い、なるべく物を増やさないシンプルな生活を心がけようと深く誓いました。

ちなみに、先日、会社の資料で捨ててはいけないものを捨ててしまい(バックアップはされていたので問題はなかったのですが)、弊社の従業員であるなっちゃんにこう言われました。
「らおばん(ボス)!断捨離もいいですけど、私たちを断捨離しないでくださいね!」