2017年

2017/6/3 思えば思われる

僕が独立開業をして5年間、叱咤激励をして支え続けてくれた台湾山頭火の足立さんが定年退職となり、5月31日をもって日本に本帰国されました。僕のブログ(略して「タロブロ」)の登場回数でナンバーワンを誇るほど、足立さんの周りでは多くのコミカルでスリリングなドラマが生まれました。
  
そもそも足立さんとの出会いは、忘れもできぬ2010年のクリスマスイブ。以前勤務していたコンサルティングファームに会社設立の相談でいらした日でした。ふとしたきっかけで、同じ大学、そして、学部学科まで同じであったということがわかり、足立さんも何かの縁を感じてくれたのだと思います。挨拶程度のはずがそれだけには留まらず話は四方八方へ!「この話をすると、二時間かかりますから、今日は止めておきます!」とか。挙句の果てには「ちょっとタバコ吸ってきますねー」と自らタバコ休憩を設ける程です。当時スモーカーであった僕も、初対面の足立さんと外でタバコを吸いながら「面白い人だなー!?」と感じたのを鮮明に覚えています。体格が大きく、声が大きく、態度も存在感も何から何まで大きい足立さんですが、僕はなぜかそんな足立さんに惹かれました。

「思えば思われる」とは、足立さん語録の一つですが、コンサルティングファームの上司も、足立さんと僕の馬が合うことを知ってか、僕を台湾山頭火さんの担当に指名してくれました。台湾山頭火会社が設立されるまでの1年間、そして、2011年12月に会社が設立され、2012年4月に第1号店となる復興店がオープンするまで、通常の業務ではない商業施設との商談通訳やら、人材募集から面接、多岐にわたる雑用まで、お店を一軒出すまでの様々なプロセスや苦労を傍で見せてもらえたことは、僕にとって得難い経験となりました。
第1号店のオープン時(2012年4月)

第1号店オープンの2か月後の2012年6月、僕が急遽独立を決めた際は、台湾山頭火さん・足立さんに多大なるご迷惑をおかけしてしまいましが、台湾山頭火さんには弊社の初めのクライアントになっていただきました。
 
それぞれの会社にはそれぞれのステージがあります。僕だけでは足立さんの秘書的な役割が果たせなくなった2号店がオープンする間近(2012年夏)には総務スタッフとして劉さんが入社しました。弊社の開業期はクライアントも2社だけで時間は有り余っていたので、山頭火事務所に行っては、足立さんから経営・マーケティングを教わりました。僕も劉さんも足立さんからゴルフを始めることを強く勧められ、夜はゴルフ練習場で足立さんの猛特訓(略して「アダゴル」)を受け、その後は「いいとも」という居酒屋で反省会をするというパターンが出来上がっていました。
幸せなことに、山頭火さんの店舗も順調に増え、弊社のクライアント数も増加し、お互い成長することができましたが、開業期の足立さんと劉さんと過ごした日々が忘れられません。
足立さん接待御用達の星友(通称「スカイラウンジ」にて)(2012年9月) 
比較的最近の歌を歌う人が、「足立さん、この歌知ってますか?」と聞けば、名台詞の登場です。
「何言ってるんだ!?僕は5000曲歌うんだぞ!」
 
父が来台する際も、「太郎くんのお父さんが来るなら、時間を作るから!」とほぼ毎回みんなで飲みに行きました。
この写真は、父と香港に行った際、足立さんがホームパーティーをしてくれた時の写真。(2015年2月)
 
実は足立さんは弊社の人事にも大きく関わっており、約二年前(2015年)には、足立さんの縁で二人の同僚となった若ちゃん(足立さんの香港における中央大学後輩)となっちゃん(足立さんの元部下)とも出会うことができました。ここで、再び足立さんの名文句。
「太郎君は、僕の関係で優秀な二人を見つけたのに、僕に一切の紹介手数料も払わず、相変わらず顧問料を請求してくるんだよ!皆さん、どう思いますか!?」
至る所で、そんな笑い話をされていました。汗
 
「いいとも」における山頭火会社及び太郎会社の合同新人歓迎会(2015年9月)
 
大学の先輩との飲み会の時、携帯の電源を切っていなかったため電話が鳴ってしまい、「先輩の前では携帯を切っておくべきだ!」と皆の前でこっぴどく叱られたり、新店舗オープンの際にビジネスカジュアルでお店に行き、「お前はなんでこんな大切な日にスーツを着てこないんだ!」と怒鳴られたり、足立さんには「お前は社会常識がなさすぎる!」と叱られた思い出は幾多にも及びます。。。
自分で会社を立ち上げ、上司がいないという環境の中で、足立さんのような先輩が傍にいてくれたことは、僕にとってとても幸せなことでした。
4月中旬から続いた怒涛の「送別会」という名を借りた何度にも及ぶ足立さんとの宴。
  
帰国前夜(5月30日)は少人数で、思い出の「いいとも」で送別会を。
涙とか出てくるのかと思いきや、普段と何も変わらず、とても楽しかったです!
 
足立さん出国当日(2017年5月31日)。
オフィスをあけられないので、本来は若ちゃんと二人で空港にお見送りと思っていたのですが、情に厚いなっちゃんも「どうしてもお見送りしたい!」ということで、オフィスをあけて3人で松山空港までお見送りに行きました。
 
台湾・香港で数々のドラマを作り上げてきた足立さん、これからは再び日本に上陸し、様々なドラマを作られていくことと思います。お会いする頻度は減ってしまいますが、僕が東京に戻る際は必ず連絡をして、足立さんに会いに行くことでしょう。これからも楽しくおかしな物語を提供してくれることを願っています。
 
足立さん、本当にどうもありがとうございました。そして、これからも厳しいご指導宜しくお願いします!