2012年

人生初めての講演会(本番編)(2012年12月5日)

さて、いよいよ、2012年11月29日(木)19:00、講演会の始まりです。
  
Ⅰ 導入部分
まずは、中国語で自己紹介です。
「大家好! 我是二村太郎我來台灣快7年了. 我是一個非常非常愛台灣的日本人
皆さん、こんばんは!二村太郎です。台湾に来てもうすぐ7年になる台湾をこよなく愛する日本人の一人です。
「台灣人, 大家都知道 "桃太郎" 的故事, 所以我每次自我介紹的時候都會  「我是 "桃太郎" 的太郎, 請多多指教!」
然後有的人誤會, 他們叫我「桃先生!. 不過我不是 "桃" 先生, 我是 "二村" 先生. 請多多指教!」
(台湾の皆さんは "桃太郎" の物語を知っているので、毎回自己紹介をする際は「 "桃太郎" の太郎です」と自己紹介をします。
時々、僕の名字を「桃」だと勘違いして、「桃さん」と呼ぶ人がいますが、私の名字は「桃」ではなく、「二村」です」)」
という感じで、台湾で話すとよく笑ってもらえる話をして、自分自身をリラックスさせる作戦でいきました。
最初だったので、僕自身も緊張していたのですが、最前列の数名が笑ってくれたのを確認し、少しほっとしました。
 
さて、ここからは日本語です。
まず、今回の講演内容となる「自叙伝」を書き始めたきっかけについて、「日本・カナダ・台湾で過ごした直近10年間に自分が悩み、考え、学んだ事をシェアする事で、誰かを励ましたり、勇気づける事ができればと思って自叙伝を書き始めたこと」、
日本語で書き始めた自叙伝をその後中国語で書き直した理由について「自叙伝の中に、自分の台湾の人に対する感謝や台湾に対するあつい思いがたくさんある事に気づき、どうしても台湾の人に読んでもらいたいと感じて、中国語に書き直したこと」を話して、本題の「日本編(絶頂期からの転落人生)」に入っていきました。
 
Ⅱ 日本編 〜2002年(絶頂期からの転落人生)
絶頂期からの転落人生を思いっきり対比したかったので、学生時代に優秀だった話、相当うぬぼれていた話、自分に不可能な事はないと思っていたので、軽い気持ちで司法試験の勉強を開始してしまった話などを自慢げに話しました。
(おそらく、オーディエンスの9割がドン引きしていたことでしょう)
数年後、僕は司法試験のプレッシャーが原因(?)で患った大病がきっかけとなり、鬱病に陥り、精神安定剤に頼るほどのどん底の人生に突入しました。
そして、5年間も勉強に時間を捧げた司法試験を諦める決意をした時の葛藤、これまでの司法試験という目標から方向転換をし、語学(英語・中国語)習得という新たな長期的な目標を設定し直し、人生の立直しプランを構築しはじめたことを話しました。
メッセージ ① 生・キャリアプランは、長期的な目標と短期的な目標を絶えずもっておく必要がある!
 
そして、2002年3月30日、僕は日本を逃げるように去り、誰も知り合いのいない厳寒のカナダへ飛び立ちました。
 
Ⅲ カナダ編 2002年〜03年(人生の立直し 前半戦)
誰も知り合いのいないカナダでの生活は想像以上に孤独で、日本に帰りたいと本気で思いました。
みんなには「1年カナダに行く!」と言って日本を出てきながら、数週間後に日本に戻れば、みんなに馬鹿にされ、それこそ一生立ち直れなくなることが分かってたので、「どんなに孤独でも、どんなに寂しくても、日本には戻れない!」と思い、なんとか頑張りました。
メッセージ ② → 人生には何度かどうしても耐えなくては行けない時期がある!それを耐え抜いてこそ、次の道が見えてくるのだ!

その後、語学スクールに通いだし、そこで台湾人女性 Sallyと出会い、このSallyとの出会いが台湾と自分の接点を作ってくれました。
メッセージ ③ → 人生にはいろいろな出会いがある。人を見極める力を身につけて、悪い影響を及ぼす人間は切り捨て、良い影響を与える人との縁を大切にする!

その後、カナダ編の締めとして、僕がカナダで学んだその後の人生に大変役立つことになった話をしました。
(気になる方は、今後アップする自叙伝のカナダ編を楽しみにしていてください!)
 
Ⅳ 台湾編 2003年〜07年(人生の立直し 後半戦)
台湾人のオーディエンスが一番興味のあるところだと思ったので、来台当初の僕の台湾に対する感想やどうして僕が台湾を好きになったのかを、いくつかのエピソードを交えながら、台湾と日本の文化の違いなども絡めて話しました。
その後、縁があり法律事務所で働くことになりましたが、法律の面白さを感じられず転職を決めたこと、事務所のボスから退職時に「30歳になるまでに、専門性を身につけなさい!」というアドバイスをもらいました。
メッセージ ④ → 外国語はあくまでもツールにすぎない!外国語の能力に「専門性」が備わって初めて、海外で通用する「グローバル人材」になれるのだ!

パソナ台湾に転職後、当時、日本のパソナ本社の執行役員、かつ、アジア地区のトップでもあった台湾人総経理Mr.Alexの特別秘書として、多岐にわたる業務に関わった事、その中で「会計」に興味を持ち、米国公認会計士の試験勉強を始め、「会計」が自分にとっての「専門性」参照・メッセージ となりました

その後、試験に科目合格をした時点で自分の将来の計画を立直し(参照・メッセージ ①、大好きな台湾を去る決意をして、2007年の夏、25歳〜30歳の5年半に渡る海外生活にピリオドを打ち、日本へ本帰国しました。
 
そして、台湾編の締めとして、僕がこの5年半の海外生活の中で学んだこれまたその後の人生にとても役立った話をしました。
(気になる方は、今後アップする自叙伝の台湾編を楽しみにしていてください!)
  
Ⅴ 日本編 2007年〜10年 (再び訪れた試練)
海外生活の5年半で人生をいい方向に転換できたものの、帰国半年後、最愛の母に末期がんが発見され、再び試練の時期が始まりました。
(僕の自叙伝はもともと家族のストーリーですが、今回の講演会のテーマはキャリアやグローバル人材という話だったので、世界4大監査法人で働いていた時代の苦労をメインに話しました。)
30歳で監査法人に入所した僕の周りには、大学卒業後挫折もせずに会計士試験に合格をして、挨拶もろくにできない年下の上司が沢山いました。
台湾の仕事環境に慣れてしまっていた僕は、そんな環境で仕事をするのは非常に苦痛でしたが、「外国語+専門性」の「専門性」(参照・メッセージ を身につけるには、どうしても耐えなくてはいけない時期だった(参照・メッセージ ②ので耐えぬきました。
 
母が他界した一年後に、父を一人残すことに大きな葛藤はあったものの、父の全面的な応援もあり、再び台北に戻る決断をしました。
メッセージ ⑤ → 誰もが自分を最大限発揮できる場所というものがある。それを早く見つけて、そこに向かうことが大切だ!自分が力を発揮できる場所で働けることはこの上なく幸せなことだ!
   
Ⅵ 台湾編 2010年〜 (独立のきっかけ)
台湾進出をする日系企業のサポートをするコンサルタントとして "普通" に働いていましたが、そんな僕がその後独立をしたい!と思う大きなきっかけとなった「ラーメン山頭火」さんのことを話しました(参照・メッセージ ③
  
Ⅶ 最後に
「誰かを勇気づけること、また、台湾の人に自分の感謝の気持ちを伝えたくて自叙伝を書き始めましたが、今回こういう場を与えていただき、皆さんにこうして伝える事ができて、一生忘れられない思い出となりました。今後もビジネスだけではなく、いろいろな意味で台湾と日本の架け橋的な存在として頑張りたいと思います!」と話した後、会社のウェブサイトとこの個人サイトを紹介して、続いて、ここぞとばかりに「Facebookのファンページ「太郎」に「いいね!」を押してください!」と宣伝をしてきました。笑
(おかげでファンが30名ほど増えて、ファン人数が265人になりました!でも、目標の年末1000人まではほど遠いです...) 
この後司会者が出てきて、質疑応答に入る予定だったのですが、特に質問はなく、20:25、当初の予定より30分も早かったのですが、講演会は無事終了となりました。 
 
僕の内心 :「やっと、終わったー!」
このイベントは数ヶ月前からずっと気がかりで、負担になっていたので、これが終わったことにより、一足早い「仕事納め」をした気分です。
 
その後、オーディエンスが続々と会場を後にしていく中、恩人のSallyが壇上の横まで来てくれて大きな大きな花束をくれました。
(誰にも注目されない花束贈呈!笑)
 

そして、僕は、会釈をして会場を後にしていく人ひとりひとりに、この大きな花束を抱えながら「ありがとうございました」と頭を下げました。
(僕はいったい何者でしょうか!?笑)
 
最後の質疑応答がなかったので、まったく反響が分からなかったのですが、帰りに何人か話しかけにきてくれたり、その後、Facebookでも数名から具体的な良かった点を指摘してくれたメッセージをもらい、それなりの成功だったようです。
 
今回の反省点としては、
※ 講演中は一人で話し続けてしまい、オーディエンスの反応が読めなかった。
今後は、うまいタイミングで質問するなど、もう少しオーディエンス参加型の講演会にする。
※ 始めの10分は、視線をどこに向けてよいか分からず、思わず原稿を読んでしまい、その後も基本的に視線を送るのは前列の数名だけだった。
今後は、後ろの人にも視線を向けられるようにする。
 
全体的には、思った以上にあがることなく、落ち着いて話すことができました。
もともと目立つのは大好きなので、こういう機会に慣れてしまえば、現在目指しているケントギルバード(外国人タレントとして日本で活躍するアメリカ人弁護士)も決して夢ではないかと本気で思いました。
また、時間をあけてしまうと苦手意識が芽生えてしまうので、近いうちにまたこういう講演会の依頼があることを願っています。