2007~2010 東京

  • 12. 青天の霹靂

    2007年8月26日、僕は約5年半に及ぶカナダと台湾での海外生活を終え、日本に帰国した。 実家は世田谷の三軒茶屋という非常に便利なところにあったが、海外で一人の生活に慣れてしまった僕は、狭い実家で両親と住む気にはなれず、一人暮らしをすることにした。 新しい会社の勤務開始日は9月1日だったので、それまでの5日間で駒込に気に入った新築ワンルームマンションを見つけ、9月の第一週目の週末に引っ...

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  • 13. 手術までの長い道のり

    2008年3月4日(火)前回の診断の際に、母が担当医から「次回は家族も同席してもらいたい」と言われたということで、父が一緒に病院に話を聞きに行くことになった。僕は以前から相談をしていた厚生省で働いている医者の友人から「こういう時はお父さんが必ず動揺するから、太郎君もついて行ってあげな」とアドバイスを受けたので、僕も会社を早退して同席することにした。母が席を外している際、担当医から、母の癌は相当の...

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  • 14. 過酷な余命宣告

    2008年7月22日(月)手術当日 この日も朝から強い日差しが照り付けており、暑い一日になりそうだった。手術は10時スタートだったので、早めに起きて、一人暮らしの家がある駒込から三軒茶屋の実家に戻った。病院に行く前、僕は毎年家族で初詣に行く自宅近所の世田谷観音へ行き、母の手術が成功するように祈った。その後、父と徒歩で駒沢の病院へ向かい、手術前で多少緊張している母を激励した。これまで手術が延期にな...

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  • 15. 突き通す噓

    2008年7月後半母の手術翌日からは、留学先のオーストラリアから一時帰国をしていた姪である真由ちゃん(友ちゃんの娘)が母に付き添ってくれた。彼女は看護婦の資格を持っているので、母もとても心強かったと思う。母の姉妹たちも交代で病院に来てくれて、そして口裏を合わせていた通り、誰もが手術がうまくいったことを母に伝えた。 ある日、病院の面会時間が終わった後、父と真由ちゃんと三人で三軒茶屋の居酒...

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  • 16. 新たなる試練

    2008年年末〜09年年始(家族三人で迎える最後のお正月)(僕はこの頃から手帳に母の病状や母との会話のやりとりを細かくメモし始めた) 12月29日(月)、台湾から友人のJackが東京に遊びにきたため、父の運転で都内観光(靖国神社、皇居、お台場)をした。お昼は日本橋で車を停めてランチをして、父は自らが生まれ育った箱崎の周りにある水天宮や人形町をJackに案内してあげた。 母が病気になる...

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